郷  愁

 平成19年1月3日の夜、今年も新年恒例の「NHKニューイヤーオペラコンサート」が放送されました。これは、日本の選ばれたオペラ歌手たちが出演し、種々のオペラのアリアを歌い合う、年に一度の定期的なコンサートですが、クラシック歌手の紅白歌合戦といったようなものです。出演する歌手たちは、大変に緊張するらしく、これが終らないと正月が来ないと言っているのだそうです。私もこれをほぼ毎年テレビで見聴きしていますが、最近では日本の声楽界の水準も上がってきて、ヨーロッパの歌劇場で活躍している歌手も何人か出演し、見事な歌唱を披露しています。今年も男女の歌手たちが、入れ替わり立ち替わり出場し、素晴らしい歌を聴かせてくれました。今年は第50回記念コンサートなのだそうで、特別に外国の一人の女性歌手が招待され、日本人歌手の中に混じって歌いました。それは、フィオレンツァ・コッソットという本場イタリアのメゾ・ソプラノ歌手でした。彼女は、今から50年ほど前に21歳の若さで、オペラのメッカ、ミラノ・スカラ座にデビューしたという天才で、その後各地で大活躍を続け、オペラファンなら知らぬ人はいない、まさに一世を風靡した大歌手なのです。
 私もかつては熱心なオペラの愛好者で、上野の東京文化会館やNHKホールなどによく足を運び、いろいろなオペラの演奏を鑑賞してきました。また、オペラの全曲盤のレコードを何組も買い込んでは、対訳を見ながら一心不乱に聴き入っていたものです。やがて、原語の歌詞の意味を直接知らなければオペラの内容をよく理解できないと思うようになり、とうとうイタリア語を勉強し始めるという凝りようでした。当時、NHKが、オペラ普及のための事業としてほぼ四年に一度の割合で、本場のイタリアオペラの指揮者や歌手たちを招待し、比較的安価にオペラ鑑賞の場を提供してくれていました。この企画は、私がまだ大学生であった頃から始まり、少なくとも六回は実施されたと思います。この企画の始めの二回ほどは、まだオペラにさほど関心を持っていない頃でしたので、テレビ放送を少し見た程度で実演には接しませんでしたが、今思えば大変残念なことをしました。その二回とも、20世紀最高のテノールと言われる、かのマリオ・デル・モナコが来ていて、「オテロ」や「道化師」などに出演し、その鬼気迫る白熱の歌唱が未だに語り草となっているのです。その演奏は今はビデオテープで味わうことができますが、現在に比べれば粗雑な画像と録音でもその悲壮感溢れる迫真の演技には圧倒されます。その後私は、1967年以降行われたNHKイタリアオペラの全演目の実演を欠かさずに見てきたのですが、確か1971年の公演の際に、前述のコッソット女史が来日し、「ノルマ」のアダルジーザを歌っているのです。当時の彼女はまさに全盛期にあり、その美声と声量そして歌唱技術は非の打ち所のないものでした。彼女の歌を聴いた時、私はその肉声に淡い紫の色彩を感じたことを思い出します。その美しさは未だに忘れられません。
 そのコッソット女史が今年の「NHKニューイヤーオペラコンサート」の舞台に立って歌ったのです。歌はヴェルディ作曲「トロヴァトーレ」のアズチェーナの有名なアリア「炎は燃えて~重い鎖につながれて」でした。このオペラの筋書きは、15世紀のスペインが舞台となっており、ある領主の幼い息子がジプシーにさらわれ、ジプシーの子として育てられて、吟遊詩人(トロヴァトーレ)に成長し、今は領主となっている実の兄と一人の女性をめぐって争う、という全く他愛のないものですが、この台本にヴェルディがつけた旋律は極めて優美で変化に富み、オペラとしては素晴らしい傑作なのです。女史の歌ったアリアは、このトロヴァトーレの育ての母アズチェーナが、息子にその秘密の生い立ちを語って聞かせるというもので、静かに始まり、次第に激しさを増し、最後は絶叫調となるスタイルをとっています。70歳を少し越えた今、女史はこの歌をどのように歌うのだろうか、声はしっかりと出るのだろうか、と不安感を持ちつつも興味津々、歌い始めるのを待ちました。柔らかい声で始まった冒頭の中音域の部分は、昔の美声を充分に偲ばせ、「ああ、あまり変わっていない」という予想外の喜びと懐かしさを強く感じさせてくれました。しかし、最後の高音のフォルテはさすがに苦しく、一応は出ていましたが、1/16音か1/32音ほど下がっていたのではないかと思います。けれども、それは許容範囲内の問題のない歌唱で、彼女の年齢を考える時、それは大変な驚異でした。何しろ、70歳を越えた歌手が、あの長く激しい歌を大きな声でほとんど破綻なしに最後まで歌い切ったのですから。聴き終えてしばらくの間、私は静かな感動に浸っていました。近頃、私はこれほど感動したことはありません。この感慨を自分の胸だけに留めておくことができず、皆さんに読んで頂きたくてペンを取ったのです。
 今まで述べてきたように、私は若い頃からオペラを始めとする声楽曲に大きな関心を持つようになり、もちろん単なる趣味としてですが、一時はのめり込むと言ってもいいような状態でした。実は、すぐ近所に引っ越して来た声楽の先生の家に通ってレッスンを受けていたこともあるのです。私よりも少し若く、明るいハイ・バリトンの声を持っていたその方は、七年余り前に急に病を得て亡くなられました。それは大きな衝撃でした。その後は、新しい先生について歌のレッスンを受けるようなこともなく、次第に音楽に対する興味は減少してゆきました。それには、以前から音楽以外にも趣味をいくつか持っていて、そちらに走ったことや、昔から集めてきたかなりの量のレコードのコレクションが、CD時代の到来によって無駄になってしまったことなども影響しています。今では、コンサートへ行ったりオペラ見物をすることなどほとんどなくなり、CDショップに行くことも少なくなりました。私の趣味の分野から音楽は消え去ったかのようです。けれども、今でもテレビの音楽番組は時々見ているのです。中でもNHKの衛星放送では、非常に遅い時間によくオペラの全曲演奏がかかります。それも良し悪しで、例えば、夜中の12時からオペラの全曲放送が始まるとすると、終るのは、早くても午前2時、遅ければ午前3時になってしまいます。これはとても健康に悪いと思います。ですから、始めの部分だけ少し見てから寝ようと思うのですが、それは絶対に不可能なのです。一旦見始めたら最後、抵抗し難い力が働いて画面に引きつけられ、もう時間などどうでもよくなって、終幕まで行ってしまうのです。気障な言い方をしますと、それは、若い日の私を育ててくれたオペラの世界、いわば私の精神的な「ふるさと」のようなものを懐かしむ一種の「郷愁」が、そうさせるのだと思います。もうオペラなど捨て去ったかのような現在の私ですが、意識のどこかに、その「ふるさと」に対する「郷愁」が根強く残っていて、折にふれ、それが表に現れるのでしょう。この正月に見て聴いたNHKの放送がまさにそうでした。それが私の「郷愁」を掻き立てるきっかけとなり、さらにコッソット女史の真摯な歌唱が私を感動に導いたのでしょう。人は誰でも、それぞれの「ふるさと」を持ち、それに対して「郷愁」を抱くものです。それは、「遠きにありて思うもの」であっても、人をして単なる感傷に陥らせるのではなく、豊かな情感を養ってくれるものであって欲しいと思います。


(平成19年 1月 5日記す)

トップへ