わがゼミの卒業生諸君へ

 卒業生の皆さんには、お元気で毎日お仕事に御精励のことと推察致します。この度、浩洋会のホームページの改変に当たり、掲載する文章の提出依頼を受け、何を書いたらよいかあれこれと迷いましたが、とりあえず、私の近況報告をお届けすることで、御挨拶に代えたいと思います。
 昨年3月の定年以来、1年近くの月日が過ぎようとしていますが、お蔭様で今日まで無病息災に、自由な隠居生活の楽しさを満喫しているところです。私の現在の暮らしは極めて単純なもので、毎日が読書、ゴルフ、テレビ見物に費やされています。ゴルフは、練習場へ行くか、あるいは自宅の庭で約1時間の素振りやアプローチ練習を行うことが中心で、月に3、4回程度コースへ出かけています。昨年のプレーは計42回、これは自分の年間最多記録です。夕食後はテレビ見物で時を過ごしますが、比較的格調高いものが多い衛星放送やケーブルテレビのヒストリーチャンネル、ゴルフネットワークなどを楽しんでいます。そして、読書の内容は、今まで色々な場でお話しして来たように、数学史と西洋史です。この1年間に沢山の本を読み、多くの興味ある史実を知りました。そこで今日は、それらの中から面白そうな話を選んで御紹介したいと思います。最後までお読み下されば幸いです。
平成17年3月23日記す
宮原 靖    

目 次

25. 続・大航海時代の幕開け 

  三年ほど前に、筆者は「大航海時代の幕開け」という記事を書き、浩洋会のホームページに掲載させて頂いた。それは、世界の歴史上最も重要な時代の一つであるいわゆる「大航海時代」の初期に、ヨーロッパ諸国を尻目にかけ、真っ先に大西洋に乗り出して、その時代を開いたポルトガル、スペイン両国の「功績」を述べたものであった。本記事はその続編であって、この両国のその後とその他の国々の「活躍」を紹介するものである。・・・→本文へ

24. 古代ギリシアの詩人たち 

 若い頃、私はドイツ歌曲が好きで、いろいろな曲を聴いては楽しんでいたものである。当時はレコードの時代であった。1960年代、有名なバリトン歌手ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの最盛期の歌唱による、それまで日本人の誰もが聴いたことがないようなドイツ歌曲のレコードが次々に発売されていた。・・・→本文へ

23. 大航海時代の幕開け~ポルトガルとスペイン(平成30年浩洋会例会講演)

 大航海時代とは、15世紀初期からおよそ200年ほどの期間、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスなどのヨーロッパの強国が、海外貿易の拠点や植民地の造営を目的として、武装した船団を積極的に派遣し、未知の新しい領土を強奪していった時期を指す名称である。この時代は、ちょうどルネサンス盛期に重なっているが、・・・→本文へ

22. 奇跡の歌曲 ~ 一期一会のシューベルトとハイネ (改訂版)

 歌曲の王と呼ばれるウィーンの作曲家フランツ・シューベルト(1797~1828)の死の約1年後に、彼の遺した歌曲を集めた歌曲集「白鳥の歌」が出版された。彼の次兄フェルディナントが彼の遺稿の中から見つけ出し、出版社ハスリンガーに引き渡してでき上がったものである。全部で14曲から成るこの歌曲集は、シューベルトの最晩年の作品の・・・→本文へ

21. Heinrich Heine (平成29年浩洋会例会講演) 

ローレライ私 がとても悲しいとはどういう意味かわかりません。 昔のおとぎ話、 頭から離れない。 空気は涼しく、暗く なり、ライン川は穏やかに流れています。 夕方の陽光に 輝く山頂。 最も美しい乙女 がそこにすばらしく座っています 黄金のジュエリーが輝き 黄金の髪をとかす 彼女はそれを金の櫛で梳き、 同時に歌を歌います。 不思議で 力強いメロディーです。・・・→本文へ

20. フランスとドイツの起源 (平成27年浩洋会例会講演) 

 フランス、ドイツ両国家の起源を考えるとき、西ローマ帝国の滅亡(西暦476年)の後ほどなく、ライン川下流域に建国されたフランク王国にまで遡らなければならない。この王国は、ライン川を渡り帝国領に侵入して来たサリー・フランク族の首領クロヴィスにより、486年に創建された。クロヴィス王の強力な統治により、フランク王国・・・→本文へ

19. ミュラー&シューベルト作「冬の旅」及び「美しき水車小屋の娘」より 

1.霜おく髪(「冬の旅」第14曲)
  恋人に見捨てられて町を立ち去り、ひとり漂泊の旅を続ける若者は、ある朝、自分の髪が白く輝いていることに気づいた。髪に霜が降っていたのだ。彼は、「俺はもう老人になっていたのか」と、この上なく喜んだ。しかし、や・・・→本文へ

18. 王の離婚 (平成26年浩洋会例会講演) 

 近世以前のヨーロッパにおいては、カトリック教会の支配力が極めて強く、人々の日常生活全般に大きな影響を及ぼしていた。例えば、夫婦が離婚したいと望んでも、教会の許可を得なければ不可能であった。特に王侯貴族が正式に離婚を実現したいと思えば、ローマ教皇の認可を得る必要があり、そのために彼らは大変な労力を費やさなければ・・・→本文へ

17. 雑話「イタリア・ルネサンスの3巨匠」(平成25年浩洋会例会講演) 

 14世紀初期にイタリアのフィレンツェに興り、西欧諸国でおよそ300年間続いた文化活動「ルネサンス」において、美術の分野での巨匠と言えば、その当時の多士済々の芸術家たちの中で、真っ先にその名を挙げられるのは、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)、ミケランジェロ・ブオーナローティ(1475~1564)、ラファエッロ・・・・→本文へ

16. ミュラー&シューベルト作「 冬の旅 」より 

 筆者が若かった頃は、レコード音楽の全盛時代であった。始めのうちはモノーラルであったが、昭和30年代後半にはステレオが流行し始め、間もなく広く普及していった。その頃ステレオ装置は高額であったけれども、給料から毎月貯金し1年位かけて、当時としてはかなりの高級品を購入した。それからは、クラシック音楽のレコード収集が始ま・・・→本文へ

15. 続・フィレンツェの秘話~コジモ1世の子供たち (平成24年浩洋会例会講演) 

 小高い丘の上にあるミケランジェロ広場の展望台から、アルノ川の向こうに広がるフィレンツェ市街を見渡すとき、真っ先に眼に飛び込んで来るのは、「花のサンタ・マリア大聖堂」の巨大なドームである。その教会の左側に接している高い「ジョットの鐘楼」に目を移すと、その奥に少し隠れるようにして小さなドームが見える。それは、かつ・・・→本文へ

14. フィレンツェの秘話 (平成23年浩洋会例会講演/改訂版) 

 有名な歴史小説家塩野七生女史の著書に、「愛の年代記」(新潮文庫)という作品がある。これは、主に中世からルネサンス期にかけてのイタリアの歴史に題材をとった9編の短編小説を集めたものであるが、それらは、大体のところ、史料やその他の文献を基礎として、かなり史実を考慮した骨組みが作られ、さらに小説としての魅力的な肉付・・・→本文へ

13. 西暦1492年 (平成22年浩洋会例会講演) 

 西暦1492年という年は、ヨーロッパの歴史に極めて重大な影響を及ぼした四つの出来事が集中して発生した非常に珍しい年である。その出来事とは、グラナダ開城、ロレンツォ・デ・メディチ死去、教皇アレクサンデル6世登場、コロンブスの新世界発見、である。その中の二つは直接的な関連を持っているが、他は偶然性が高く、互いに強い因果・・・→本文へ

12. 東方のヴァイキング (平成21年浩洋会例会講演) 

 北ヨーロッパのユトランド半島からスカンディナヴィア半島にかけて住み着き、後にヴァイキング(あるいはヴィーキング)と呼ばれるようになった人々が、西暦8世紀末からおよそ200年間にわたって、ヨーロッパ各地を襲撃し略奪や殺戮あるいは土地の強奪を続けた。このヴァイキングの民は、ゲルマン民族の系列に属する人々であった。古・・・→本文へ

11. 物語「メロヴィング王朝の歴史」 

 西暦6世紀末期に書かれた「10巻の歴史」という書物がある。作者は、フランスの都市トゥールの司教であったゲオルギウス・フロレンティウス・グレゴリウス(c.540~c.590) という人物である。通常、トゥールのグレゴリウスと称されている。彼はこの書に題名をつけなかったが、後世の訳者が上記のように名づけたものであり、「歴史十書」と・・・→本文へ

10. 物語「3次方程式の解法発見」 

 11世紀に入った頃、西ヨーロッパは、ようやくにして中世の暗黒時代といわれる長い眠りから目覚め始めた。イタリア北部やフランドル地方においては、諸都市が繁栄し、それらを基地とする商業が急速に発達してゆく。キリスト教会の抑圧の下にあって、それまで影を潜めていた古代ギリシア・ローマの文化の重要性が認識され、その古典を学ぶ・・・→本文へ

09. 管見「イングランド王国」(平成20年浩洋会例会講演) 

 昨年の浩洋会例会における講演「歴史の“バトンタッチ”」において、筆者はイギリス王朝の系譜について簡単に述べた。そこで、今回は、その続編のような意味で、イギリス王国の歴史についてもう少し詳しい考察を試みることにした。その中心的なテーマは、そもそもイギリス人とは人種的に言っていかなる民族なのか、一体彼らはどこから来・・・→本文へ

08. 歴史の“バトンタッチ”(平成19年浩洋会例会講演) 

 よく知られているように、世紀の大物理学者アイザック・ニュートン(1642~1727)は、近世物理学の祖とも言うべきガリレオ・ガリレイ(1564~1642)の没年に生まれた。もとより、これは単なる偶然に過ぎないのであるが、我々は、この事実に、あたかも物理学の担い手のバトンがガリレオからニュートンへと手渡されたかのような象・・・→本文へ

07. ポアンカレ予想の解決 

 フランスの数学者アンリ・ポアンカレによって提出され、およそ100年の間、解けないまま懸案の問題となっていた「ポアンカレ予想」が、遂にロシアの数学者グリゴリ・ペレルマンによって肯定的に解決された。その論文(複数)が発表されたのは2002~2003年であったが、その後約3年をかけて綿密な検証が行われた結果、昨年2006年に・・・→本文へ

06. 郷 愁 

 平成19年1月3日の夜、今年も新年恒例の「NHKニューイヤーオペラコンサート」が放送されました。これは、日本の選ばれたオペラ歌手たちが出演し、種々のオペラのアリアを歌い合う、年に一度の定期的なコンサートですが、クラシック歌手の紅白歌合戦といったようなものです。出演する歌手たちは、大変に緊張するらしく、これが終・・・→本文へ

05. 現代文明の流れ (平成18年浩洋会例会講演) 

 明治初期以来、百数十年間というもの、日本人は、それまで培い蓄積してきた自分自身の文化のかなりの部分を徐々に捨てつつ、欧米文化を受け入れ、欧米諸国に追い着くことを目標として、それに没入していった。欧米文化の中でも、とりわけ科学文明の影響は極めて大きく、現在、我々はその恩恵なしには一日も過ごすことができないほど・・・→本文へ

04. 浩洋会ゴルフ合宿記(平成18年8月) 

 三年前の夏に始めた、浩洋会のゴルフ愛好者有志によるゴルフ合宿を今年も行いました。参加者拡大のため、その時の様子を浩洋会の皆さんにお知らせしたいと思います。ゴルフ合宿と言っても、それほど大層なものではなく、気軽に集まって、ゴルフ場の近辺に宿を取り、夜は酒食をともにし、昼間はスコアや順位を気にしないゴルフを楽しも・・・→本文へ

03. ギリシア数学概観(平成17年浩洋会例会講演) 

 ギリシア数学の黎明期に現われ、今日まで、その不朽の名を伝えられている、二人の数学者がいる。ミレトスのターレス(B.C.620?~550?)およびサモスのピタゴラス(B.C.580?~500?)である。彼らの生涯について知られていることは極めて少ない。彼らの著作は一つも残っていないし、そもそも、彼らが書物を著したかどうかも全く不明な・・・→本文へ

02. 古代アレクサンドリアの大図書館 - ギリシア数学史の側面 

 紀元前333年、イッソスの戦いにおいて、マケドニア王アレクサンドロスは、ペルシアの大軍を打ち破り、その翌年、軍勢の一部をパレスティナとシリアに残して、エジプトへ進軍した。エジプト人は、アレクサンドロスを長年支配されていたペルシアからの解放者として、熱狂的に歓迎した。22歳の若き王は、重臣や兵士とともにナイル河・・・→本文へ

01. アルキメデスの墓標 

 現在の科学文明の根源とも言える古代ギリシアの数学・科学は、その始祖とされるターレス(B.C.600年頃)から、最後のギリシア数学者・哲学者と言われるプセルス(A.D.1100年頃)まで、実に1700年間も継続し、生き長らえたのである。しかし、その最後の数百年は、独創的発展が皆無であって、少数の学者による古典の注釈や教・・・→本文へ

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