ミュラー&シューベルト作「 冬の旅 」より

 筆者が若かった頃は、レコード音楽の全盛時代であった。始めのうちはモノーラルであったが、昭和30年代後半にはステレオが流行し始め、間もなく広く普及していった。その頃ステレオ装置は高額であったけれども、給料から毎月貯金し1年位かけて、当時としてはかなりの高級品を購入した。それからは、クラシック音楽のレコード収集が始まった。レコードというものは、後に現れたカセットテープやCDなどと違って、実に豪華であった。例えば、交響曲やピアノ曲の全集とか、オペラの全曲盤などは、絵や写真を印刷した立派な箱にレコードが何枚も入っていて、大きな分厚い解説書が付いており、それを読むのも楽しみであったし、セット全体のずっしりとした重みが何とも言えず心地良かった。筆者が大学を卒業した年のことだったと記憶しているが、日頃から聴いてみたいと思っていたシューベルトの歌曲集「冬の旅」の全曲盤を手に入れた。歌い手はドイツの往年の名バリトン歌手ゲルハルト・ヒュッシュ(1901~1984)であった。1933年の録音であるから、もちろんモノーラルで音質も良いとは言えなかったが、聴いてみてその素晴らしさに驚嘆した。終始一貫して均質な美しい声の響きと、格調高く、感情を抑制した端正な歌唱とにすっかり魅了されてしまったのである。美声とは言っても、決して華やかな美しさではない。一本筋金が通っているかのように強靭で、いぶし銀のような輝きを持つ声の魅力と言ったらよいであろうか。それ以来、筆者はこのレコードに取りつかれてしまった。何度も何度も聴いたためにそのレコードは雑音がひどくなり、聴くに堪えなくなってしまったので、再び同じものを買わなければならなかった。その後、長年にわたり、多くの歌手の「冬の旅」を聴いてきた。筆者の所有している「冬の旅」のレコードやCDは、たぶん50数種類にのぼるだろう。今までこれらを聴き比べてきたが、現在でもヒュッシュの歌唱は少しも古くない。それどころか、「冬の旅」に関する限り、ヒュッシュに匹敵する歌手は何人かいるけれども、未だに彼を凌ぐ歌手はいないと思っている。後代のリート歌手に多大の影響を与えた、ヒュッシュのこの歴史的名盤を聴いてからは、筆者は歌曲のみならず宗教曲やオペラなど声楽全体に興味を持つようになり、大の声楽愛好家になっていった。
 けれどもそのうちに、単なる鑑賞家でいるだけでは物足りなく、専門家に師事して本格的に声楽を学んでみたいという思いが次第に強くなっていった。しかし、どうせ才能がないのだからやってもものにならないだろうとか、仕事が忙しいから無理だろうなどと思ったりして、なかなか踏み切れなかった。30年ほど前のことになるが、自宅の裏通りに高等学校の音楽の先生が引っ越して来て、近所付き合いをするうちに、一緒に酒を飲んだり、旅行をするなど、大変親しい仲になった。彼の専門は声楽であり、明るいハイ・バリトンの声を持っていた。何年か後になって、筆者の声楽希望の話が出て、彼も乗り気になり、教えて貰うことになった。ところが間もなく、全く思いもかけず、彼は重病に襲われ急逝してしまったのである。筆者よりも3歳ほど年下だった。これは大きな衝撃だった。せっかく始めた声楽であったが、このような不幸な事情で残念ながら中断をやむなくされた。ごく短期間のことだったので、これではとうてい声楽を学んだなどとは言えず、とうとうそのまま定年を迎えることになった。
 さて、定年後のあるとき、今度こそは長年の憧れであった声楽を本格的にやってみようと発心して、自宅からさほど遠くない所に音楽教室があるのをインターネットで見つけ、思い切って入門したのである。今から3年余り前のことであった。師匠は音大を卒業してからそれほど経っていない若い女の方で、週に1度の個人レッスンを受けているが、この3月末で満3年が経過した。その間病欠もせず皆勤することができたことを喜んでいる。師匠は大変優秀な方で、真面目に丁寧に教えて下さるので、こちらも一所懸命に勉強している。発声法や歌唱技術、歌の解釈などについて、今まで全く知らなかったいろいろなことを教わり、歌を歌うというのはこういうことなのかと、目からうろこが落ちるような思いをしている。入門して1年後、ついに「冬の旅」のレッスンに入った。まだ早いとは思ったが、この歌曲集のうち何曲かでも歌うことが筆者の第一の目標であったので、「挑戦してみなさい」との師匠の勧めもあって、飛びついた。選んだ曲は第23曲「幻の陽」であった。好きな歌だったし、音域が狭いので歌いやすいと思ったのだが、実は、かなり難しい曲である。心臓強く、その年の発表会で歌った。昨年は、同じく「冬の旅」の第14曲「霜おく髪」と第21曲「はたごや」を歌い、今年は、第6曲「あふるる涙」と第20曲「道しるべ」を歌う予定である。(いずれも難曲である。我ながら、怖いもの知らずと強心臓ぶりに驚く。)そこで、以前から、いつか「冬の旅」についてエッセーのようなものを書いてみたいと思っていたこともあるし、また、今年の発表会に選んだこの2曲の説明をしたいとも思ったので、この文章を書いている。

 歌曲集「冬の旅(Winterreise)」は、デッサウの詩人ウィルヘルム・ミュラー(1794~1827)の詩に、ウィーンの作曲家フランツ・シューベルト(1797~1828)が曲を付けたものであり、シューベルトの死の前年1827年に完成した。ミュラーは自身のこの詩が歌となって世に出る前に死を迎えた。二人とも同世代の芸術家であるが、ともに30年をわずかに越えた歳でこの世を去ったことは、返す返すも無念であり、痛ましい限りである。しかし、彼らが命懸けで創り上げた「冬の旅」は現代でもドイツ歌曲の最高峰であり、名歌手たちが、演奏会やレコードやCDなどを通じて数多くの名演奏を行ってきた。この歌曲集は全部で24曲から成るが、それらの中で最も有名なものは第5曲「菩提樹」であろう。1823年、ミュラーは、最初にこの歌曲集の前半の12編をまとめて詩集として発表した。1826年あるいは1827年に、この詩集を見つけたシューベルトは、「さすらい人」というテーマに強い関心を持っていたこともあって、自分の創作意欲を大いに高められ、大喜びでこの12編を作曲した。ところが、ミュラーはこの12編を発表した後に、さらに12編の詩を追加し、旧版の12編と併せて全24編の詩集「冬の旅」として改めて出版したのである。その際、ミュラーは旧版の12編の詩のいくつかについて語句を改変し、さらに、この24編の詩の順序を新たに入れ替えて発表していたのである。後にこの改訂版の詩集を発見したシューベルトは、既に作曲済みであった前半の12曲についてはミュラーの行った詩句の変更を無視し、順序も以前のままにした上で、残りの12編を新たに作曲して追加し、全24曲の歌曲集「冬の旅」として発表した。当然のことながら、前半の12曲は互いに音楽的に緊密に結びついていたので、彼はミュラーの改訂版の詩集の順番の通りに従うことはできなかったのである。後世の人々は、シューベルトが自分勝手にミュラーの詩集を改変して作曲したと思い彼を批判したが、現在は、この歌曲集が完成するまでには、このようなやむを得ない事情があったことが明らかになっている。
 歌曲集「冬の旅」は、一人の若者が、結婚まで言い交わしていた娘に捨てられ、それをはかなんで、ある冬の夜に秘かに町を立ち去り放浪の旅に出るという設定で始まる。若者は、恋人の家の門に「おやすみ」と書きしるし、一人わびしく旅立った。そのときの彼の切ない思いが第1曲「おやすみ」で歌われる。以下、この旅の途上でこの青年が感じた心象風景を具体的にあるいは抽象的に描いたものがこの歌曲集である。この作品は単純な失恋の歌などではなく、全編が人生における深い絶望感、疎外感、虚無感に覆われ、それは両作者の人生観がにじみ出たものであろう。「冬の旅」には、同じ二人の作詩作曲による歌曲集「美しき水車屋の娘」に見られるようなはっきりとしたストーリーは無い。曲集の始めのうちは、主人公の若者が、娘が自分を見限って金持ちの男に走ったことをひたすら悲しみ、恨み、あるいは、相思相愛の仲で過ごしていた頃のいろいろな出来事をひたすら懐かしみ、美しい思い出にひたる、という雰囲気で進行してゆく。悲哀に満ちた一連の歌の中でも、その極みとも言うべき、第6曲「あふるる涙(Wasserflut)」の詩を書いておこう。訳は筆者のものである。

  •  Manche Trän' aus meinen Augen
  •  Ist gefallen in den Schnee;
  •  Seine kalten Flocken saugen
  •  Durstig ein das heisse Weh!

  •         沢山の涙が僕の眼から
  •         雪の上にこぼれ落ちた。
  •         冷たい雪片はむさぼるように飲み込んだ
  •         僕の熱い悲しみを!


  •  Wenn die Gräser sprossen wollen,
  •  Weht daher ein lauer Wind,
  •  Und das Eis zerspringt in Schollen,
  •  Und der weiche Schnee zerrinnt.

  •         草木が芽吹こうとする頃、
  •         暖かい風がそよぎ、
  •         氷は千々に割れ、
  •         柔らかな雪も溶けるだろう。


  •  Schnee, du weisst von meinen Sehnen:
  •  Sag', wohin doch geht dein Lauf?
  •  Folge nach nur meinen Tränen,
  •  Nimmt dich bald das Bächlein auf.

  •         雪よ、お前は僕の憧れを知っている。
  •         言ってくれ、お前はどこへ流れて行くのか?
  •         僕の涙だけを追ってくれ。
  •         やがて小川がお前を捕えるだろう。


  •  Wirst mit ihm die Stadt durchziehen,
  •  Muntre Strassen ein und aus―
  •  Fühlst du meine Tränen glühen,
  •  Da ist meiner Liebsten Haus.

  •         お前は流れとともに街中を行き、
  •         賑やかな通りをあちこちと動き回るだろう。
  •         お前が僕の涙が輝くのを感じたとき
  •         その場所こそは僕の愛する人の家なのだ。


 ロマン派詩人ミュラーの面目躍如たる悲痛な詩である。ここでは、涙は若者の分身である。その涙は、雪に吸い込まれ凍りついてしまうが、やがて暖かい春が来たならば、雪とともに溶けて流れて小川に注ぎ、巡り巡っていとしい人の住んでいる町へ流れ着くだろうと彼は夢想する。そして、この詩の最終行がフォルテで歌われるとき、確かに若者は恋人の家のそばに来ているのだ。それにしても、何とまあ、滑稽なほどロマンティックな詩ではないか。しかし、シューベルトはこの詩に素晴らしいメロディーを付した。一度聴いたら忘れられず、何度も聴きたくなるような名歌である。
 辛苦に満ちたさすらいの旅を続けるうちに、青年には次第に狂気が忍び寄り、幻覚を見るようになる。第14、15曲辺りで、死の影がちらりと見え隠れしているが、遂に彼ははっきりと死を意識し、それに向かって歩んで行こうとするのである。それをこの歌曲集の中で初めて表明しているのが第20曲「道しるべ(der Wegweiser)」であり、その意味でこの曲は特に注目すべきものである。その詩を紹介しておこう。

  •  Was vermeid' ich denn die Wege,
  •  Wo die andern Wandrer gehn,
  •  Suche mir versteckte Stege
  •  Durch verschneite Felsenhöhn?

  •         一体なぜ僕は避けているのか
  •         ほかの旅人たちが行き交う道を。
  •         なぜ僕は雪に覆われた小道や
  •         岩山の道を探しているのだろう?


  •  Habe ja doch nichts begangen,
  •  Dass ich Menschen sollte scheun,
  •  Welch ein törichtes Verlangen
  •  Treibt mich in die Wüstenei'n?

  •         僕は何一つ悪いことをしてはいない、
  •         人目を避けねばならないような。
  •         一体どのような愚かしい欲求が
  •         僕を荒野へと駆り立てるのだろう?


  •  Weiser stehen auf den Wegen,
  •  Weisen auf die Städte zu,
  •  Und ich wandre sonder Massen,
  •  Ohne Ruh' und suche Ruh'.

  •         道の上に道しるべが立ち、
  •         町を指し示している。
  •         だけど僕はがむしゃらにさ迷い歩くのだ、
  •         安らぎもなくしかも安らぎを求めて。


  •  Einen Weiser seh' ich stehen
  •  Unverrückt vor meinem Blick,
  •  Eine Strasse muss ich gehen,
  •  Die noch keiner ging zurück.

  •         一本の道しるべが立っているのが見える、
  •         僕の目の前に小揺るぎもせずに。
  •         僕はその道を行かねばならない、
  •         誰一人帰って来たことのない道を。


かくして、若者は死への道を決然として歩き始める。この詩の題名「道しるべ」は、死への旅路の道しるべをも意味しているのである。 
 上に記したように、「道しるべ」の詩は4節に分かれている。まさに起承転結である。曲は2/4拍子、短い前奏の後、寂しげに歌が始まり、終始一貫してピアノ伴奏により歩行のリズムが刻まれる。まるで葬送行進曲を聴いているかのようである。第2~3節において主人公の激しい感情が歌われるが、第4節においては、死を覚悟した若者の決意が同じ音の連続で朗唱風に歌われ、最終のフレーズがゆっくりと消えゆくように唱された後、和音が静に三つ鳴って曲は終る。いささか奇妙に思われるのは、この曲の前奏と後奏は短いのに、第2節と第3節の間に割合に長い間奏が挿入されていることである。この長い間奏は何を意味しているのか?その間、歌い手は何をイメージしていればよいのか?これはこの曲を解釈する上で重要な問いであると考えられる。この間奏は、若者が山道や荒野をさ迷い歩いている様子を描写しているのである。さらに、間奏が終った直後の1拍半の休止は、彼が、彷徨の末、道しるべの立っている場所へ辿り着き、辺りを見回す感じを表しているという(有名なピアノ伴奏者ジェラルド・ムーアの解説による)。そして、この道しるべの立つ場所は道の分岐点であることが分かる。なぜならば、第3節第1行のWeiser(道しるべ)は複数であり、Wegen(道)も複数(3格)だからである。
 ところで、シューベルトは、歌曲を作曲するときに、作詩家の言葉を勝手に変更することがよくあった。彼は、文学的な素養を多分に持っていて、語句に対する感覚が非常に鋭く、自分の音楽のイメージに合わない言葉は別のものに変えてしまうことが多かったという。「冬の旅」においてもその通りであって、ミュラーの原詩と歌曲集の詩とを比べてみるとき、細かな変更も入れるとかなりの数の相違点があることに驚かされる。そもそも、題名の「冬の旅」にしてからが、ミュラーの原詩では「die Winterreise」のように定冠詞付きであったが、シューベルトは冠詞を省いて「Winterreise」としてしまった。今まで述べてきた「道しるべ」においても、重要な単語の変更があった。それは第3節第1行の「Wegen」である。原詩では、この語は「Strassen」であった。これは、2行下の「Massen」と脚韻を全く同じくするので、脚韻を重んずる詩としては原詩の語の方がはるかに良いように思われる。ところが、シューベルトにとっては、脚韻を改悪することになっても、この語は「Wegen」でなければならなかった。それはなぜか?ドイツ語では、「道」を表す言葉は、一般的に「Weg(複数はWege)」であるが、これは大通りとか街道を表すものではなく、小さな道を意味する。大通りや街道を表す語は「Strasse (複数はStrassen)」である。さらに、細道や山道など特に小さな道の場合は「Steg(複数はStege)」が用いられる。「道」を表すこの3種の単語はすべて「道しるべ」の詩文において使用されている。さて、第2節と第3節の間の間奏は、若者が山道や荒野をさ迷い歩く様を描写したものであり、彷徨の末、彼は道の分岐点に現れそこに立っている道しるべを見つけた、と前に述べた。とすると、それまでに彼が歩いて来た道は街道や大通りではなく、従って、彼が道しるべを見た場所も「Strassen」ではあり得ない、ここは「Wege(3格なのでWegen)」を用いなければならない、とシューベルトは考えたに違いない。このような訳で彼はこの用語の改変を行ったのであろうと筆者は推測するのである。
 第1節から第3節までの詩文は具体的な状況を表しているが、第4節に至ってその内容が突然抽象的なものに変わる。この節における「Strasse」は、具体的な「街道」ではなく、抽象的に「死に至る街道」を意味している。この世に生まれたあらゆる人間が等しく死の世界に向かって歩んで行かなければならない大通りなのであるから、ここは詩人も狭い道「Weg」ではなく、「Strasse」を用いている。そこで、第3節第1行に戻って、もし、ここで原詩のまま「Strassen」とするならば、第4節の抽象的な意味合いを持つ同語との混同が生じるかも知れないので、それを避けるためにも、ここではシューベルトが変更したように「Wegen」とする方がよいと筆者は思うのである。筆者は昔から演奏会やレコード、CDなどで数十人に及ぶ歌手たちの「冬の旅」の演奏を聴いてきたが、「Wegen」と歌っているのはヒュッシュを含めたほんの数人に過ぎず、ほとんどの歌手たちは原詩のように「Strassen」と歌っている。ヒュッシュは「天才シューベルトの歌曲は、彼が作った通りに歌わなければならない」という信念を持っていた。歌手には、原詩を尊重すべきだとする派と、音楽作品であるからには作曲家の意図を重視すべきだとする派の二つに分かれるようである。
 第20曲において死を決意した若者は、「道しるべ」に従って進んで行った。その道は彼をある墓地へと導いた。疲れきった彼は心地よさそうな宿屋が見つかったと喜んだ。第21曲「はたごや」である。彼はこの宿に一夜の宿りを頼み込むが、にべもなく断られる。彼は「何と心冷たい宿よ」と嘆き、憤然とその場を立ち去った。若者は自ら望んだ死も果たせず、さらに絶望の旅を続けざるを得ない。とある村のはずれの道端で、彼は、ライアー(手回しによりローラーで弦をこすり、その弦を手で押さえてメロディーを奏でる昔の楽器)を弾きながら、金銭を乞うている年老いた楽師に出会った。老楽師は、雪道の上を裸足でよろけながらライアーを懸命に弾いている。けれども、誰一人として彼を見向きもせず、地面に置いてある小さな皿は空っぽのままである。犬どもが周りで唸り声を上げているが、彼はそ知らぬ顔でただひたすらに己の楽器を奏でている。若者は「不思議な老人よ、共に行き、あなたのライアーで僕の詩にメロディーを付けてくれないか?」と声をかけようとする。これが「冬の旅」の最終曲「辻音楽師」である。すべての望みを失っていた若者は、この老楽師に出会ったことで、旅の道連れを得たが、心の救いはついに得られなかったのであろうか?この曲の後奏は、フェルマータのついた絶望的な暗い和音の響きで静かに終る。


(平成25年 5月記す)

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